収入が増えることと、働きやすくなることは別だった
ライターとして、多い月には70本ほどの記事を納品していた時期があります。
仕事はたくさんありました。
収入も、会社員だった頃と比べれば何倍も増えていました。
場所に縛られず、自分で働く時間を決められる。
普通に暮らしていれば毎月お金が減ることもほとんどなく、「このままなら、かなり自由に生きていけるのでは」と思っていた時期もあります。
でも、働きやすかったかと聞かれると、素直にそうは言えません。
朝から晩までパソコンに向かい、ひたすら記事を書く。
納品したら、また次の記事。
休めば、そのぶん仕事は進みません。
収入は増えたけれど、同じように仕事量も増えていました。
今振り返ると、当時の私はかなり“人力AI”のように働いていたと思います。
検索する。
必要な情報を集める。
構成を作る。
指定された形に整える。
一定の品質で、速く、大量に納品する。
それは当時、ちゃんと求められていた仕事でした。
その経験で身についたものもたくさんあります。
でも、生成AIが当たり前になった今、もう一度同じ働き方に戻りたいとは思いません。
この記事では、仕事も収入も増えていた頃に感じていたことと、そこから働き方について考えるようになった理由を書いてみます。
多い月には70本ほどの記事を書いていた

当時の私は、SEO記事を中心にかなりの本数を書いていました。
多い月には70本ほど。
1日に何本も記事を書き、合計するとかなりの文字数になる日も珍しくありませんでした。
案件が重なると、朝から夜までほとんどずっとパソコンの前にいます。
当時は、自分の中にある程度の執筆ペースもできていました。
このくらいの文字数なら、これくらいの時間。
このジャンルなら、リサーチはこのくらい。
構成から必要なら少し長めに取る。
そんなふうに仕事量を見積もり、パズルのように一日の予定を組んでいました。
今考えると、かなり体育会系です。笑
でも、そのペースで回せたのには理由もありました。
私はタイピングが比較的速く、調べることもそこまで苦ではありません。
さらにSEO記事を長く書いていると、キーワードを見ただけで、
「おそらく読者はこのあたりを知りたいだろう」
「この順番で説明した方がわかりやすそうだ」
と、ある程度イメージできるようになります。
検索上位の記事を確認する。
必要な情報を整理する。
不足している内容を考える。
クライアントのレギュレーションに合わせる。
指定された文字数や形式に収める。
そうした作業を、かなり速いペースで回していました。
ジャンルもさまざまです。
金融、不動産、転職、美容、エンタメ、法律、生活、商品紹介、比較記事。
専門ライターというより、「必要なことを調べて、一定の品質で記事にする」ことが得意なタイプだったと思います。
そして当時は、それがかなり仕事につながりました。
継続して依頼してもらえるクライアントも増え、単価も少しずつ上がりました。
仕事は順調でした。
少なくとも、数字だけを見れば。
仕事が増えれば、もっと自由になると思っていた
フリーランスになった頃の私にとって、収入が増えることは安心につながっていました。
仕事が増える。
収入が増える。
生活に余裕ができる。
そうなれば、もっと自由になる。
かなり単純に、そんなふうに考えていたと思います。
実際、会社員だった頃より収入が増えたことで、できることは増えました。
年に数ヶ月海外で過ごす。
平日に出かける。
混んでいる土日を避けて予定を入れる。
会社へ毎日通う必要もありません。
働く場所も、自分で決められます。
そこだけ見れば、かなり自由です。
でも、仕事が増えていくにつれて、少し違う問題が出てきました。
自分の時間を売っている限り、収入を増やそうとすると、基本的には働く量も増える。
当たり前といえば当たり前です。
当時の私は、その当たり前をかなり全力でやっていました。
書けば売上になる。
だから書く。
まだ書けるなら、もう一本受ける。
依頼を断れば、次は来ないかもしれない。
だったらできる限り対応する。
仕事があること自体は、本当にありがたいことです。
でも、気づけば「自由になるために選んだ働き方」で、かなり長い時間働いていました。
稼げていたけれど、かなり消耗していた
本数が多かった頃は、とにかく手を止めないことを優先していました。
考える。
書く。
確認する。
納品する。
次へ進む。
もちろん、雑に仕事をしていたわけではありません。
検索意図も確認します。
競合記事も見ます。
構成も考えます。
クライアントのルールにも合わせます。
修正にも対応します。
ただ、どれだけ真面目に取り組んでいても、一日に使える時間には限界があります。
本数が増えるほど、ひとつの記事について深く考える時間は減っていきました。
現場を見る。
誰かに話を聞く。
自分の経験を掘り下げる。
本当にこの説明でいいのか考える。
ひとつのテーマについて時間をかけて調べる。
そういう余裕より、
「まず納品する」
ことが優先されます。
ひとつ終わったら、次。
また終わったら、次。
かなり体力勝負の働き方でした。
文字がゲシュタルト崩壊していた

消耗していたのは、気持ちだけではありません。
普通に体にも出ていました。
朝から夜まで文章を書いていると、だんだん文字が文字に見えなくなってきます。
誤字脱字を確認しているはずなのに、文字そのものが記号のように見えてくる。
同じ表現を何度も見すぎて、
「これ、日本語として合ってたっけ?」
みたいな状態になる。笑
目も疲れます。
肩も首も固まります。
背中も痛い。
仕事が終わったあと、かなり頻繁にマッサージへ行っていた時期もありました。
ある日、担当してくれたマッサージ師さんに、
「何したら、こんなになるんですか?」
と言われたこともあります。
そのときは笑いましたが、考えてみれば結構ひどい話です。
やっていることは、座って文章を書いているだけ。
でも、その「座って書くだけ」を一日中繰り返していました。
外から見れば、好きな場所でパソコン一台で働くフリーランス。
実際には、かなり泥くさいです。
今思えば、かなり“人力AI”だった
生成AIを使うようになってから、昔の自分の仕事を振り返って思ったことがあります。
私、かなり人力AIだったな、と。
検索する。
必要な情報を集める。
読者が知りたいことを整理する。
構成を作る。
わかりやすい順番に並べる。
指定されたトーンで文章を書く。
文字数を調整する。
誤字脱字を確認する。
一定の品質で、速く、大量に出す。
もちろん、すべてがAIに置き換えられるという話ではありません。
クライアントの意図を読むこと。
微妙なニュアンスを整えること。
情報の正しさを確認すること。
そのメディアに合う表現を選ぶこと。
最終的に何を載せるか判断すること。
人間が担う部分は残っています。
ただ、以前は人間が時間をかけていた「調べる・整理する・たたき台を作る」といった作業を、今はAIでもかなり補助できます。
だから私は、
AIに突然仕事を奪われたというより、人間がAIのように働いていた部分を、AIでもできるようになってきた
と感じています。
そして私自身、まさにその部分を大量にこなすことで収入を作っていました。
その働き方が当時間違っていたとは思いません。
必要とされていたから仕事になった。
私も真剣にやっていました。
ただ、これからも同じ方法だけで戦うのは違う。
今はそう思っています。
自分が本当に書きたいテーマは、同じ速度では書けなかった
量産を続けていた頃、もうひとつ大きな気づきがありました。
自分にとって本当に大事なテーマについて書こうとすると、いつものようには書けなかったことです。
私はもともと、ライターとはまったく違う仕事をしていました。
その分野については、自分なりの経験もあります。
現場で見てきたものもあります。
だからこそ、簡単に言い切りたくないこともたくさんありました。
そのテーマについて文章を書こうとすると、何度も止まります。
この表現で本当にいいのか。
これは雑にまとめていい話なのか。
自分が伝えたいのは、本当にこれなのか。
読んだ人に違う意味で伝わらないか。
いつものSEO記事より、ずっと時間がかかりました。
そこで初めて、
「私は単純に文章を書くのが速いわけではないのかもしれない」
と思いました。
速く書ける型の仕事に、長年かけて最適化されていた。
その方が近かったのだと思います。
SEO記事を適当に書いていたわけではありません。
必要なことは調べる。
読者に伝わるようにする。
ルールを守る。
仕事としての品質を保つ。
そこはかなり真面目にやってきました。
でも、
リサーチした情報を整理して書く文章と、
自分の経験や考えを掘り下げて書く文章は、
同じ「書く」でもかなり違います。
この違いに気づけたことは、その後の仕事を考えるうえで大きかったと思います。
量産SEOで身についたものは、今もかなり使っている

ここまで書くと、量産SEOを否定しているように見えるかもしれません。
でも、そうではありません。
むしろ私は、あの時期にかなり鍛えられました。
検索する力。
情報を整理する力。
文章を書くスピード。
構成を作る力。
読者が知りたいことを考える力。
クライアントの目的を読む力。
決められた条件の中で成果物を作る力。
仕事として文章を書く感覚も身につきました。
自分が書きたいものを書くのではなく、求められているものを書く。
締切を守る。
修正に対応する。
媒体ごとの表記やレギュレーションに合わせる。
特に、医療・美容・健康・金融など慎重な表現が求められる分野では、
「この言い方は本当に大丈夫か」
と立ち止まる習慣もつきました。
量をこなしたからこそ、わかったことは確実にあります。
だから、過去の自分に
「そんなに書く必要なかったよ」
とは言いません。
あの時期があったから、今があります。
ただし、
そこで身につけた力と、当時の働き方をそのまま続けることは別の話です。
経験は持っていく。
働き方は変える。
今はそのくらいに考えています。
収入が増えても、余白まで増えるわけではなかった
当時、一番大きかった気づきはこれかもしれません。
収入が増えれば、働き方もラクになるとは限らない。
単価が上がれば、同じ時間でも収入を増やせます。
これは確かです。
でも、仕事が増えるたびに全部受けていれば、結局は忙しくなります。
収入が増える。
仕事も増える。
生活水準も少し上がる。
その状態を維持したくなる。
すると、今まで以上に仕事を減らしづらくなる。
私の場合は、仕事がない不安よりも、
「今ある仕事を断って、この先減ったらどうしよう」
という不安の方が大きかった時期もありました。
だから受ける。
そして、また忙しくなる。
これは、収入だけを見ていたら気づきにくい問題でした。
たくさん稼ぐことと、
余裕を持って働けることと、
安心して休めることは、
全部別です。
AI時代に、同じ働き方をそのまま勧めるつもりはない
初心者の頃に、ある程度の量を書くこと自体は悪くないと思っています。
数をこなしたことで身につくものはあります。
仕事の流れもわかる。
自分が苦手な部分も見える。
文章を書くことにも慣れます。
ただ、昔の私のように、
「大量にSEO記事を書けること」
だけを武器にしていく働き方を、今からそのまま目指すことは勧めません。
生成AIによって、記事制作の工程そのものが変わっているからです。
AIを避けるのではなく使う。
そのうえで、人が関わる意味をどこに作るのか考える。
取材する。
編集する。
企画する。
専門性を深める。
自分の体験を言葉にする。
クライアントの事業そのものを理解する。
Webサイトなど、文章が載る場所まで作れるようになる。
ひとつの職種だけではなく、できることを組み合わせる。
私自身も、今まさにその途中です。
「これをやれば正解」という答えを持っているわけではありません。
ただ、昔うまくいった方法をそのまま繰り返すよりは、少しずつ仕事の持ち方を広げたいと思っています。
もう同じ働き方には戻らない

月70本近く書いていた頃の自分を、否定するつもりはありません。
かなり頑張っていました。
仕事を覚えました。
実績もできました。
収入も増えました。
長く付き合えるクライアントとも出会いました。
自分で仕事をして生活する感覚も身につきました。
全部、今につながっています。
でも、
朝から晩まで記事を書く。
本数で売上を作る。
調べてまとめる作業をひたすら繰り返す。
休んでいる時間にも締切が気になる。
考える余白まで仕事で埋める。
そこには、もう戻りたくありません。
当時の私には必要な時期だった。
でも、これからの私まで同じ働き方をする必要はない。
今はそう思っています。
稼げた経験より、そのあと何を変えるか
以前は、収入が増えることをひとつのゴールのように考えていました。
もちろん今でも、収入は大事です。
ひとりで働く以上、お金について考えなくていいわけではありません。
ただ、今はそれだけでは足りないと思っています。
どれくらい働くのか。
どんな仕事を残すのか。
何を新しく覚えるのか。
どのくらい休めるのか。
受注していない時間にも動くものを作れるか。
ひとつの職種やクライアントだけに依存していないか。
そういうことも含めて働き方です。
収入が増えた時期があったからこそ、
「もっと稼げば全部解決するわけではない」
ということもわかりました。
月70本近く書いていた頃の自分には感謝しています。
でも、もう同じ場所へ戻る必要はありません。
あの頃に身につけたものは持ったまま、
書く。
聞く。
編集する。
作る。
AIを使う。
自分のメディアを育てる。
少しずつ仕事の形を広げていく。
一度うまくいった働き方も、必要なら組み直していい。
今の私は、そう考えています。
